2017年8月14日月曜日

昭和12年前後の時代背景

 
通州事件では
船津工作といって、邦人被害について日本は全部目をつむる。
それまでの支那の要望を全部受け入れるという案を日本は提示、

その和平調印の当日、大山中尉虐殺事件
http://www.geocities.co.jp/.../1931-40/1937_oyama_jiken.html 
が起こり、第二次上海事変に至った。
日本が、仲良くしようと平和を望んだことが逆に
戦乱を招いてしまった。

邦人が狙われ欧州人は狙われなかったのは
やれば必ず欧米はリベンジするからで
日本人の甘さ=水に流す国民性が逆に争いを招いている。
 
クリップボード01

歴史はブチブチに切れていません。
必ず因があり果となります。
時系列は逆になりますが盧溝橋事件以降彼等が増長しだして
邦人が弾圧虐殺されていったのが判ります。
通州事件 昭和12(1937)年7月29日、中国人による邦人虐殺、北京。
廊坊事件 昭和12(1937)年7月26日北京近郊現在の廊坊北駅で発生した
日中間の武力衝突 。
広安門事件 昭和12(1937)年7月27日 北京市)で起きた

国民革命軍第二十九軍による日本帝国軍襲撃事件、
盧溝橋事件 昭和12(1937)年7月7日北京南西郊の盧溝橋付近で
演習中の華北駐屯日本帝国軍一木いちき大隊の中隊に対し
十数発の射撃がなされたことが切っ掛けとなり
日本帝国軍と冀察政権政務委員会第 29軍が武力衝突した事件
これを侵略に対するレジスタンスと言う馬鹿者がおりますが
そうではなく一方的にやられていたのは日本です。