2017年1月22日日曜日

日本が植民地にならなかった理由

日本人?は祖国を小さな国と思い込んでるよねえ、
でも16世紀の戦国時代世界一の軍事力だったのですよ。
今なら核兵器でしょうが 当時は鉄砲。
これ わずか2、3丁だっけかの鉄砲が伝来
それをコピペし改良し保有数は当時世界一。 
20世紀に入っても国際連盟の常任理事国、
技術的に超大国だった(経済的には貧乏?でしたが)。
もうちっと 誇りにおもって、いいんじゃないかなと。
卑下し 矮小化しすぎに思える
https://www.youtube.com/watch?v=gaZ9npGMvME
【韓国の反応】韓国人
「韓国の歴史がクソで情けない…」
→「一方日本は戦時中も超大国で最強だった!!」


ちなみに 購入したのは 現在の貨幣価値になおすと 
2丁で一億円。
鹿児島県の黎明館という施設で常設展示されている

薩摩藩の南浦文之(なんぼぶんし)和尚の
「南浦文集」
慶応11年(1601)に書いた「鐡炮記(てっぽうき)」という記録
鉄砲の伝来から国内に鉄砲が伝わる経緯が書かれている。

天文12年(1543)8月25日
種子島の西村の浦に大きな外国船が漂着し、
その中に漢字を理解できる五峯(ごほう)という
人物がいたので筆談
その船に乗っていた商人から
鉄砲と言う火器を領主の種子島時尭
(ときたか 若干20歳前後)が二挺購入
臣に命じ、外国人から火薬調合の方法を学び
また銃筒を模造させたが、
銃尾がネジのついた鉄栓で塞がれ
作り方がわからず翌年来航した外国人から
八板金兵衛がその製法を学び、鉄砲の模造品が完成、
伝来から一年後に数十挺の鉄砲を製造。
1570年に織田信長と戦った石山本願寺の軍は
8000挺
1575年の長篠の戦いでは、
織田・徳川連合軍は1,000挺x3。
戦国大名の竜造寺隆信が率いていた軍勢は二万五千、
そのうち九千が鉄砲隊。
10年かからず1万丁! 
これは世界全体の半数にあたる。
日本刀は西洋でしきりに研究され、

その成分分析や、切れ味の分析が
事細かに行われるのですが結果として
西洋人が、日本刀を作ることがなかった。
・・・鍛えて焼き入れができなかったため。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-771.html

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